努力は天分に勝るこれは将棋の故・木村義雄十四世名人が、八段の頃話された言葉である。

将棋も有段者となるには、余程の天分がないとなれない。しかしいかに天分があっても、その人がその天分だけを頼りにして努力が続けられなければ、せいぜい二段どまりで終わる。

ところが、さほどの天分が認められない人でも将棋に打ち込み、寝ても覚めても将棋を考え、工夫し、研究し、一所懸命に努力精進する人は、四段ぐらいまでは進むことが出来る。だから八段名人とも言われる人は、大天才が大努力を傾倒して初めて到達する道なのだ、ということであった。

私はこの話を聞いて、言い知れぬ希望が湧き起こってくるのを感じた。「努力は天才に勝る」ということだからである。

これといって天分のない自分にも、その仕事に全力を打ち込んで努力さえすれば、天才が天分だけを頼りにして進むよりも一歩前進出来るという確信を持つことが出来た。

世の優れた繁盛店と言われるお店の多くには、「素人から商売を始めた」とか、「中途転業をしたので」などと言う方もおられるが、これらの店主の方々にお目にかかって例外なく感じられることは、それらの方々が、自らが素人なるが故にと、人一倍その仕事に努力し研究し、精進しておられる姿である。

世の中には、確かに“天才”といわれる人物がいます。没して、その業績や発想の先見性があらためて評価される歴史上の人物はもとより、音楽家やスポーツ選手など一芸に秀でた人達の中にも、明らかにそれと思われる人物がいます。

しかし、生まれ持った優れた才能だけでは事は成し遂げられません。人一倍の努力とそれを可能とする環境と時代背景、さらには“運”というものがあって初めて名を残すことができるのではないでしょうか。せっかくの天分を生かせない人間は、それこそ無数にいたはずです。また、そもそも“天才”になりうる天分を持ち合わせて生まれてくる人間など滅多にはいないはずです。

何をもって、どのレベルで“天才”と称するかはさておき、どの道でも、大天才が大努力をして初めて事をなす“条件”ができた、ということだと思います。ですから、世の大多数を占める我々凡人は、努力次第でそこそこの事は成し遂げることが可能である、ということは間違いないのではないでしょうか。

1997年5月