天に貸し越せ子供の頃、よく母にこの言葉を聞かされたものである。こんなに努力しているのに、人が認めてくれない。こんなに良いことをしているのに、分かってくれない。努力に相応しい報酬が与えられないと思うとき、人には不平が起こりやすい。

そのようなとき母は、いつもこんなふうに教えてくれた。

「それは天への貸し越しですよ。どんな場合でも借り越しをしてはいけません。天はいつどこで算盤を合わせているか知れませんが、きちんと計算して、いつか利息をつけて返してくれたり、反対に利息を計算して、差し引きをつけたりするものですよ。

人間は人が見てくれない、分かってくれないと、すぐ不平が出たり、馬鹿馬鹿しくなったり、僻んで考えたがるものですが、天の算盤は、人間の一生の長い計算の中で、実に正確に一銭一厘の間違いもなく、しかも複利計算で差し引きをつけて下さるものなのです。

他人を相手にせず、報酬のみを目当てにせず、与えられた仕事に全力を尽くすことです。出てきた答が不足に感じられたら、それは天への貸し越しなんですよ」と。

この「天に貸し越せ」の母の教えは、天への貸し越しは出来ないまでも、せめて借り越しにならないように努力する大切さを教訓として私に与えてくれた。

いつの世でも、どうしようもなく人間は「僻(ひが)む・妬(ねた)む・捻(ひね)くれる」といった感情をもってしまうものです。自我を形成している一要素だから、と言えるのかもしれません。

であるならば、悟りを開けぬ私たち凡人としては、これらの感情とうまくつき合っていかなければなりません。人間は“社会的な存在”である、との認識から出発して行動していくことが大切なのだと思います。

1996年8月